旅の重さ

 東京にいた頃、池袋にある「文芸座」という名画座によく通っていた。
 1本100円という安さは封切りが1000円の当時にあって、魅力的だった。1階は洋画専門、地下は邦画専門と分かれていた。
 平日の昼間はほとんど客がいない。ション便臭い地下に入っては、名画と呼ばれるものから、全く知られていないものまで、手当たり次第観た。桃井かおり、原田美枝子、石川セリ…そんな個性豊かな女優のデビュー作品から、埋もれてしまいそうなB級ものまで、何でも良かった。あの場末の泥臭い臭いが好きだった。
 若い男は僕くらいなもので、所在なさそうな中年男が数人、暗いスクリーンをただじっと見入っている。
 これといった目当ての映画がなくても通い続けた。ほとんどは「ハズレ」だが、たまには「当たり」もある。表題の「旅の重さ」はそんな中のひとつだった。
 粗筋は確かこうだ。
 横浜に住む16歳の女子高生が家を飛び出し、四国へお遍路の旅に。そこで旅回りの一座と出会い、彼らに加わり、一緒に旅をする。やがてその一座とも別れた彼女はまた旅を続ける。そんな折、雨に打たれ、病に倒れた彼女を、中年のしがない行商人が助ける。それから、二人の不思議な夫婦生活?が始まる。
 その女子高生を演じたのが高橋洋子。そのままそれが芸名になった。彼女のデビュー作だったと思う。
 ラストシーンは行商の荷車を二人が押しながら歩いていく。その時、流れてきた曲が吉田拓郎の「今日までそして明日から」。このシーンと合っていた。
 「旅の重さ」ってなんだろう。
 この女子高生は冒頭、こう台詞を吐く。
 「ママ、びっくりしないでね。私はただの家出じゃない。旅に出たのよ…」
 彼女は旅に出ていなければ自殺していたのかもしれない。そう、彼女自身で確信していた。
 その彼女が最後はママにこう呟く。
 「今のこの生活には愛があり、孤独があり、なにより詩がある…」
 最後の「詩がある」という言葉に共鳴したのを覚えている。そこに、あの歌がかぶさってくる。20歳の若者にはそれだけで十分だった。
 話は変わるが、その「拓郎」が約30年ぶりに「つま恋コンサート」を開いた。映像でしか見ていないのだが、随分丸くなっていた。声に往年の力強さはなかったが、それがかえって、味のある声に聞こえた。もちろんあの「今日までそして明日から」も歌ってくれた。それも最後に。
 淡々として、自然体で、いい歳の重ね方をしているように見えた。
 さて、僕はどうだろう。思わず自問してしまった。
 映画を観終わったとき、田宮虎彦の「足摺岬」という短編小説を思い浮かべていた。「生きる」ことの意味を、自分に知らしめてくれる作品だ。理屈では説明の出来ない「哀切」みたいなものを感じたから…。
 『旅の重さ』とは「どうにもならない現実を生きなければならない人間の宿命」みたいなものなのかもしれない。それは決して、現実から逃げていることではない、と僕は思っている。
 だから、人はいつでも「旅」に出たいと思うのだろうか。

my essay

その3